LIFE IS STRANGE

人生も為替も山あり谷あり

無駄を大切にする国

 

中学、高校と運動部に所属しておりましたが、運動部特有の

 

俺たちの時代からこうだったんだ

だからお前たちもこれをしろ

 

という感じのことをひたすら言われてきましたよ。まぁとにかく上下関係には厳しく、常に気を遣わないといけない。それは部活だけではなくて、校内であったり私生活であったりと。このよくわからない日本的慣習?には悩まされたものです。

 

こういうのはどこにもあることですね。仕事においてもそうです。新人はとにかく無駄なことでも伝統だからとかいう理由でやらされるもんです。

 

こういうのって本当に無駄だと思うのです。

 

こういう無駄なことをしている側も、これって必要あるのか?と疑問に思っていただろうに、自分がする側になると平気でその無駄なことをするのです。

 

日本人にとっての上に立つ人とはこんな感じなのです。

 

自分は先輩や上司からこういうことをやれと言われてしてきたんだ、だからお前らもこれをやらなれけばならないと。例え無駄だと思えていてもしなければならないのだと。

 

部活動においての後片付けにおいて、後輩がせっせと片付けをしている中で先輩たちは楽をして休んでるとか、それよりもみんなでやればいいのでは?と思っていました。みんなでやれば早く終わるわけだし、率先して先輩がやっているのを見ると後輩たちもやる気や士気が高まるのではないかと。

 

しんどいことは後輩に、と任せず、先輩になろうとも一緒にやる、率先して仕事をしている年長者とはカッコよく映るものです。

 

日本の場合、リーダーとは率先して組織を導いていくものだ、というのではなく、リーダーとは率先して楽をするものだ、なのです。

 

上下関係を大切にすることは気遣いであったり、礼儀を身につけるには良いのかもしれませんが、別にそれは上下関係を大切にすることから培おうとしなくても良いのではないかと思うのです。

 

礼儀が重んじられるような剣道やら柔道ならともかく、チームスポーツにおいてはむしろ上下関係とは弊害をもたらしているのではないかと感じる。

 

それって無駄だからもうこの代でやめにしよう、そうすれば効率的になると合理的な判断を下せず、伝統であり守り続けてきたことだから何か意味があるし大切にしていかないといけないという精神論で物事を決める国民性とは、周りの国々が変わっていく中で足枷のようなものとなりつつあるんです。

 

ちょんまげだって、なぜあんな非効率的な髪型が生まれたかわかりませんが、明治になり散切り頭が普及する様になると恐る恐るも皆がその様な髪型に変えていき、変えてみるとその方が楽だと、今ではそれが当たり前であり、その伝統を惜しむ人もいない。散切り頭になったことで、自分を表現するレパートリーが増えてよかったよかったという感じですよね。

 

伝統を変えていくというのは難しいことであるけど、変えてしまえばこれでよかったと思うもの。もう少し変化を受け入れられる国民であったらなぁと思った今日この頃。